Windows 7は「私が作った」という広告を信じる人は、何でも信じてしまいます。だから、こう考えてみてください。Windows 7はWindows Vistaを嫌っていた人たちによって「作られた」のです。

Vista を購入しなかったとしても、Microsoft の新しい「反 Vista」オペレーティング システムである Windows 7 の作成に協力したことになりますが、それでも、これは非常に嫌われていた前身のシステムの進化形です。
そう考えてみると、Vistaに対する顧客の圧倒的な拒絶こそがWindows 7の開発を後押ししたと言えるでしょう。「私を私らしくした」という言葉も、ある意味納得がいきます。Windows 7は、明らかにマイクロソフト史上最悪の失敗作であるWindows Vistaの最も不快な側面を取り除くために作られたのです。
Windows 7の発売をめぐる熱狂的な愛の祭典は忘れてください。この溢れんばかりの愛情は、愛情の最低水準を塗り替えるものです。人々がWindows 7を愛するのは、それが何であるかというよりも、何ではないかという点においてです。Windows 7を愛するということは、ついに非難が収まったときに感じる爽快感に似ています。
Windows 7の開発は開発の初期段階で既に完了していたと考える人たちに私も同感です。Microsoftは開発が実際に開始されてからは、フィードバックに耳を傾けなかったようです。フィードバックに耳を傾ける必要がなかったという指摘はもっともですが、「私を作った」という表現は、そうしたイメージとはかけ離れています。
Windows 7 ベータ プロセスは、実際に顧客からのフィードバックを求めるものではなく、巧みに組織された長期にわたるマーケティング テストでした。
こうしたことは、Windows 7 が悪いオペレーティングシステムだということを意味しません。しかし、Windows Vista と比べて優れているからといって、Windows 7 が素晴らしいオペレーティングシステムだということにはならないでしょう。
マイクロソフトが Windows 7 のプロモーションに誠実であれば、世界は同社をもっと尊敬するでしょう。私たちは真実を受け入れることができますが、マイクロソフトはそうできるでしょうか?
David Coursey は@techinciterとしてツイートしており、彼の Web ページを通じて連絡を取ることもできます。