歴史愛好家や陰謀論者の皆さん、おめでとうございます。ウィキリークスのおかげで、数百万点に及ぶ米国諜報機関の文書がオンラインで公開されるようになりました。
ウィキリークスは、2010年に公開した25万件の国務省文書(現在は「ケーブルゲート」と呼ばれている)とヘンリー・キッシンジャー時代の国務省文書170万件を組み合わせて、米国外交公共図書館(PlusD)を立ち上げた。
キッシンジャー電報は1973年1月1日から1976年12月31日までのもので、ベトナムに対する評価や「違法なことは直ちに行うが、違憲となると少し時間がかかる(下のスクリーンショットを参照)」といったキッシンジャー特有の発言を含む会話の記録が含まれている。
政府はこれまでにキッシンジャー電報に含まれる文書の大半を機密解除または公開していたが、外交記録は主に国立公文書記録管理局にPDF形式で保管されていた。
ウィキリークスは PDF をテキストに変換し、各文書を相互参照して、データが正確で検索可能であることを確認しました。
ウィキリークスが発見したもの
ウィキリークスの調査によると、NARAファイルの一部は、ジョージ・W・ブッシュ政権時代に技術的なエラーによって破損したり、機密指定が変更されたりしていたことが判明しました。ウィキリークスは、政府は25年後に文書を評価し機密解除することになっているものの、そのプロセスが約12年遅れていると指摘しています。そのため、PlusDデータベースには1976年末までのファイルしか含まれていません。
ウィキリークスはイラク戦争とアフガニスタン戦争に関連した秘密文書の公開で最もよく知られているが、最近では米国の海外外交をより長期的かつ歴史的な視点から見ている。

キッシンジャー電報は、以前の公開ほど衝撃的ではないものの、アウグスト・ピノチェト将軍の統治下におけるチリでの殺人事件の報告をバチカンが否定したなど、あまり知られていない重要なニュースも含まれている。
ウィキリークスは3年近く匿名の投稿を受け取っておらず、発行者のジュリアン・アサンジ氏は依然として英国で自宅軟禁状態にある。そのため、ウィキリークスはキッシンジャー電報のような公開されているもののあまり知られていない文書のアーカイブ化といった、より主流のプロジェクトに目を向けている。
昨年末、ウィキリークスはグアンタナモ収容所の収容者に関する政策も記録し公開した。